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思い出の樹

岡山大学教育学部附属中学校教諭

 黒岡 茂


この文章は昭和40年当時の技術家庭課の先生をなさっていた黒岡先生が昭和48年頃の同窓会名簿に寄稿されたものを

なつかしさのあまり、つい無断で転載させていただいたものです。 本文転載に関し、著作権等、問題がある場合にはご連絡下さい。

 東山の電停から附属学園に近づくと、青々としたひいらぎもくせいの生垣が目に付く。正面の両側つまり附小と附中側に延々と生垣が続いている。この生垣は附中創立10周年記念として同窓会の手によって植えられたものである。

 当時、本校に在職し同窓会会長でもあった内藤靖章先生(一期数学担当、現在和気高校)のご努力が思い出される。実はこの生垣も前はここにべにかなめの木が植えられていた。その木は極めて生育が悪く、生垣らしくなかった。そこで内藤先生は同窓会の面目にかけても全面的に植え替えてみようと決意され、現在のひいらぎもくせいの木に更新されたのである。この木を植え付けた当初は勿論のこと、夏休みなども内藤先生が一株一株願いをこめて、丹念にバケツで水を運び潅水しておられた姿が何時までも忘れられない。その後、先生はご栄転されましたが、先生の意思を継ぎ、この生垣は立派に育てようと心に誓いました。しかし、学校建築工事のため生垣の途中を切り開いて、ダンプの出入り口にしたこともあったが、幸いにして、昭和43年10月当時の校長谷口先生のご努力で学園の環境整備がなされた。その工事の一部として、細い畔に植えられたひいらぎの両側にブロックを築き、そこに盛り土をして2メートルに近い土るいにした。その結果は、年々育成が旺盛になり現在のように堂々たる生垣となった。そしてこの2,3年同窓生の前島君(6期、光緑地産業役員)の手によって、摘み込みや害虫防除を実施している。この附属小、中学校の前面をとりまく生垣は、「緑友」につながる何ものかを感じざるをえない。

 正面を入って附中の校舎に面すると、この炎天の下にピンクの花を無数につけ青空に展がっているのはきょうちくとうである。3階建て校舎の半ば以上にも伸びた株立ちのこの木は、たしか昭和29年2月だったかと思う。当時の校長小松原先生の命を受けて、理科の平田信夫先生(現在御津中学校校長)と西大寺の観音様の植木市で求めた。(3本のうちの1本は体育館の前に植えている)ものである。(この木は、インドの原産で日本には江戸時代の中期に渡来したものであるが、夏の炎天下に咲くのでいかにも熱帯産らしい淡紅色の5裂の弁の花である。葉の形が竹に似ていることと花の色が桃色をしていることから夾竹桃の名がつけられたといわれている。附中の庭に植えられて20年、この木はあちこちで見受けるが附中ほどの大株はまだ見たことがないやはりこの木も思い出の樹であり、じまんのできる木となった。元附中教頭の鎌田先生が、あの木はすばらしい、この学校で一番好きな木であるだいじに育てようとよく口にしておられた。夏休みに学校へ出ると、生徒のいない淋しい校庭でこの木は花を咲かせ、わたくしを待っていたかのように迎えてくれる。

 きょうちくとうのあるところから南に進むとさんご樹の並木がある。これは、たしか34,5年の卒業生の記念樹の一部であるように覚える。

 このあたりから、2号館(旧師範学校校舎)の西側に庭を設けたのと、いまひとつは2本の株立ちの大きな木に眼がうつる。この木は残念なことに無名前がわからない。だいぶ努力してみたが知った人がいない。また、誰が何時ごろ植えたのかも判明しない。おそらく師範学校以前からこの地に生えていたものだろう。名も分からない木であるが、同窓の皆さんはきっと忘れることのできない木であろう。写真でも見られるように附中の玄関の引き立て役としての風格を備えている。2株が同じように育ち、秋の紅葉は生徒の写生の対象となり、冬の寒樹(落葉後のこと)のたくましさはすばらしいものです。こんな木が自然に存在している附中の庭をここに再認識してほしいものである。次にグリーンのじゅうたんをベースにした日本的な庭は環境整備工事の一部として基礎工事をしたものに、前庭としての要素を加えて施工したものであって、ここに植えられていた黒松・くろがねもち・きんもくせいなどは小松原先生のご尽力で集められ、旧講堂付近に植えられていたものを移植したものである。ことにきんもくせいは小松原先生の自宅にあったもので、故人となられた戸清さんとリヤカーで持ちこんで植えたものである。いまこんなことを思いだし、感無量である。庭には矢掛石を配置し、そのまわりにさつきを植え込んでいるがこれらは44年の卒業寄付をあて、卒業記念園としたものである。

 附中の門として南門が完成したのは43年の秋であった。これも環境整備工事の中の大きなものの一つである。当時美術担当の能登靖幸先生(現在岡大教育学部美術教室助教授)と付近の学校を訪ね校門の視察をしたのもついこの間のようである。

 校門の右側には、左側の前庭と同様に45年卒業生の寄付金によって、構内の樹木を集めて作庭したもので、黒松・ひいらぎ・ぼけ・さくらなどが植え込んである。

 校門の正面に立っているのはメタセコイヤの3本である。この木は世界一速く大きくなる木として知られ、戦後わが国に入ったようである。34,5年の卒業記念樹の一部であるがずいぶん大きくなっている。この木は春の芽立ちが美しく、また、深緑の真夏には、教官室に涼風を送りこんでくれる。やがて冬枯れとなった梢は鋭角に伸びて、直幹の幹をひきしめている。この木をじっと見ていると希望の湧く不思議な木である。これからもきっと思いでをつくる木となるであろう。

 メタセコイアの向こうには、理科の教材園、飼育施設、技術課の栽培実習園が見られる。これは46年8月に完成したものであるが、殆ど全額同窓会の援助により、同窓生の前島君の施工によるものである。

 教材園には、四季おりおりの植物が栽培され、また、池には錦鯉が飼われ、生徒たちの観察、栽培の実験、実習、そして情操の薫陶にあるいは労作に教育的効果をあげおるのが現状である。ここに同窓会の皆さんに報告し、感謝する一人である。

 以上、附中生活における思い出の樹の一部を拾ってみたのであるが、旧師範学校時代から育った木々がたくさんある。それに、卒業記念樹ないしは同窓会の手によって育てられた樹木の数々、附中の環境の良さがしみじみとわかる。さる43年の環境整備には、同窓会の柴田会長さんが同計画に参加させて欲しいとの申し出を当時の校長谷口先生にされたと聞く。その後もある機会に、附中の一角に「同窓生の森」を作りたいという発想を話し合ったことがある。あのことは今も耳の奥に残っている。しかし、附中の現状をつぶさに見つめたとき、まさしく、附中の森は出来つつあると思える。