平成9年11月23日:茶せん供養
今日は国泰寺高校の裏手にある禅林寺で開かれた茶せん供養に行って見ました。
先生・友人と待ち合わせて私の車で行ったのですが,待ち合わせ場所で友人が
見つからず,式の始まる10:00にぎりぎり間に合い,友人をお寺の近くで降ろして
から,駐車場に行きましたので,私が着いた時はもう式は済んでいました。
でも,お寺の二階でおいしいお茶を頂いてから,お寺の裏手のお墓にお参りしました。
この地区は広島藩の寺町だったようで,近くにはお寺が集中しています。
国泰寺高校に名前をとどめている国泰寺というお寺は,今は広島の西の山の
上に移転していますが,国泰院殿というのは太閤さんのことですから,
国泰寺という名前も太閤さんに因んだものではないかと勝手に想像しています。
お墓から帰りぎわに,ご流祖・上田宗箇様のご位牌が式典のあった位置に
お祭りしてありましたので,お祈りを済ませてから,傍にいた青年部の方と
○○院殿○○大居士という戒名は昔の殿様など格の高い方の戒名であることなどの
お話しをしました。
茶せん供養の後はそごう(デパート)で開かれていた千代田町の上田宗箇流の
先生方のお茶会に出たあと,県立美術館で開かれていた厳島神社の平家納経展を
見て帰りました。
西広島の山の上にある国泰寺で開かれた義士祭のお茶会にいってみました。
国泰寺は広島浅野藩の菩提寺で元は広島の町の中にあったそうですが
現在は西広島の山の上に移転しています。
10時30分より、お家元のお献茶と、お坊さんの読経があり、
無事、赤穂義士のお供養を済ませました。
その後、ほとんどの方はお墓に詣でられましたが、
私たちは1番の席に入りました。
床には大石力が山科で焼いたという巴紋の瓦(の文鎮のようなもの)
が飾ってありました。
お茶は2服でましたが、とてもおいしく頂けました。
炉縁や手あぶりには浅野家の紋が付いており、
大石蔵之介の消息も拝見できるなど、当時の苦労を忍ぶことが出来ました。
お茶会の後は討ち入りソバを頂いて山を降りました。 続いて、明星院という広島駅の近くのお寺で開かれた義士祭に
行ってみました。
待合には、吉良家の絵図面(写)や浅野長矩公の肖像画がかけてあり
ここでも義士の労苦を忍ぶことができました。
平成10年1月10日 和風堂初釜
和風堂の初釜に行ってみました。
望月さんのお点前でお薄を頂いた後、お家元が濃茶をたてて下さいました。
私は先生とご一緒することができませんでしたが、席には縮景園のお茶会の
時、お顔を拝見したことのある方も来られていました。
私は袴で出席しましたが、みなさん、きちんとした服装でしたので、
正装していて良かったと思いました。
濃茶の席で、お茶を頂いたお茶碗は赤肌焼ということで
やや大振りなお茶碗でした。 お茶を頂いた後は山水軒の座敷で軽い食事を頂きましたが、
お酒もおいしく楽しい一日となりました。