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現在の足守の風景

   (但し写真は15年程前のものを含みます。)

豊太閤の血脈を守って400年,足守川には高松城水攻めの時と変わらぬ

豊かな清水が流れ続け,大光寺の山門をくぐれば,

一瞬にして時は天正の昔に移り、

頭上に燦然と輝やく勅許の菊桐は

打ち続く戦乱の世を平定し,ご主君 織田信長公の

大願を成就した北政所・ねねと秀吉公の往時を物語っています。

 

豊臣・木下家の菩提寺 大光寺の亡くなった和尚さんが

見せてくださった和尚ご自作の瓢箪の花入れ。

入れてあるのは庭で咲いた赤ふ入の白侘助でしょうか?



豊臣・木下家の庭園であった近水園(おみず)の吟風閣


園内には白樺派の歌人になられた利玄さんの歌碑や,北政所・ねねの遺品等を

保存展示した足守文庫があります。

(文庫には普段、鍵がかかっていますが,吟風閣左側にいらっしゃる岡山市の委託管理人の方に

申し出られれば鍵をあけて中を見せて貰え.るのではないかと思います。)

<Question> 近水園(おみず)を建てたのは誰?

6代藩主、公定(きんただ)公の時代(1708年)、院の御所(京都仙胴御所)

の普請を行った際の残材を足守に運び、この吟風閣が造営されました。

吟風閣の前には利玄さんのお好きだった「萩」が植えられ夏から秋にかけて美しい花を

咲かせています。また、左手には牡丹が多数、植えられています。

牡丹もまた利玄さんのお好きだった花の一つです。


 
公定公は教養豊かな藩主であり、桑華蒙求を著わして藩士の教育に使用しました。

この桑華蒙求、上中下の3巻とその版木は岡山市の指定文化財(Click here)

となっています。旧足守藩の藩主には、聡明だった北政所「ねね」の血筋のためか、

教養豊かな方が多かったと言われています。


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